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泉美木蘭
2016.7.4 03:38

離婚と世間とコバンザメ

酒癖って「三つ子の魂百まで」みたいな要素があるから、
やめるというより、コントロールを身に着ける、と考えるほうが、
切通さんの今後のためにも良さそうに思いますけどねえ?
どこでも同じ「あおる」ような飲み方をするのをやめたらよいだけで。
TPOです、TPO。

でも、昨夜は、快調な時間帯の切通さんが話していた「離婚と世間」
についての意見が、ああ、そう考えるのかあと、自分との意見の違いが
おもしろかったです。
乙武夫妻、高島・高知夫妻を例題に、世間が夫婦を「離婚させる」まで
騒ぎ立てる現象には問題があるだろう、というお話だったんだけど、
私は、切通さんとは感覚が違っていて、舛添を公職から追放した話とは
また違って、人と人の別れについては、世間の言い分なんてまったく
関係していないと思っているのです。

なぜなら、別れを切り出す側の人間は、主体性の塊になっている、
という感覚があるからです。
ちょっと遊んで相手にせずにポイと捨てるのとは違って、情を通わせた人間を、
自分の人生から切り離すという作業には、
めちゃくちゃにパワーがいる
ものだと思うんですよ。
情とか事情って、自分のものと相手のものが混ざりあって、トリモチ状に
生活の隅々に絡みついているもので、単純にスッパリとはいかないんですよね。
なにより、他人を大きく傷つけるのは、とても怖いことです。
強くないと冷徹には振る舞えないと思うんです。
そして、その離別のパワーの根源は、カネの量でも、権力の大きさでも、
周囲からの圧力の強さでもないんですよね。
その人の、純粋な決断だからこそ、迷うことなく最後まで行えるのが、
離別。決別。という感覚です。

「別れない」と「別れられない」も違いますよね。
どれだけ周りが意見しても、「別れない」という決断を主体的にする人も
いれば、自分では決断できなくて「別れられない」という依存を繰り返す
はめになる人もいるし。

ここまで書いて、ふと思いましたが、
自分に主体性がない人は、他人の主体性も理解できない。
だから簡単にストーカーになるんだろうなと思います。
こびへつらって振る舞うんだけど、相手を尊重することができていない。
尊重できないから、相手を忖度できず、勝手な思い込みを押しつける。
もしくは、粘着隊として、強力な主体のコバンザメと化してしまったり。

数日前のニュースで知りましたが、大阪の水族館で「コバンザメが独立した」
と話題になっているそうです。
宿主のジンベイザメに嫌われて振り払われてしまい、それでも吸い付こうと
するので、ジンベイザメが暴れて傷だらけになってしまった、と。
それで水槽を分けたら、最初はおどおど地底を這っていたコバンザメが、
徐々に悠々と振る舞うようになり、いまでは独立してエサを食べているのだ
そうです。
環境は否応なしにコバンザメを変える・・・。
ただ、
コバンザメはコバンザメだから、
またジンベイザメが現れたら、すぐ吸い付く生活にもどるだろう、と。
そういうわけで「自然界ではありえない姿」と言われているそうです。

泉美木蘭

昭和52年、三重県生まれ。近畿大学文芸学部卒業後、起業するもたちまち人生袋小路。紆余曲折あって物書きに。小説『会社ごっこ』(太田出版)『オンナ部』(バジリコ)『エム女の手帖』(幻冬舎)『AiLARA「ナジャ」と「アイララ」の半世紀』(Echell-1)等。創作朗読「もくれん座」主宰『ヤマトタケル物語』『あわてんぼ!』『瓶の中の男』等。『小林よしのりライジング』にて社会時評『泉美木蘭のトンデモ見聞録』、幻冬舎Plusにて『オオカミ少女に気をつけろ!~欲望と世論とフェイクニュース』を連載中。東洋経済オンラインでも定期的に記事を執筆している。
TOKYO MX『モーニングCROSS』コメンテーター。
趣味は合気道とサルサ、ラテンDJ。

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